パク・トンハ:朴東河:Paku Tonha

大韓民国ソウル市出身 ミュージカル俳優
BLOODTYPE:B 
Official homepage:TSUBASA OF TONHA

パク・トンハさんのプロフィール

↓これくらいなら誰が書いても問題ないんじゃないかなぁと思う公式プロフィールに基いた事実の羅列。メニューページをパクられたことがあるので、どうせならこの枠内からだけパクって下さいw
正確にはトンハさんの公式サイトプロフィールを参照のこと。

1984年韓国にてミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』で子役デビュー。『コーラスライン』『FAME』など、数多くのミュージカルやドラマに出演。安養映画芸術高校から中央大学芸術大へ進学、兵役を経て、韓国ミュージカル大賞男優新人賞にノミネート。
2001年に来日。劇団四季『ジーザス・クライスト・スーパースター』日本デビュー。その後数作を経て退団。2003年に東宝芸能入り。2003年韓国へ『Singin' in the rain』で凱旋帰国・主演した後、日本でも2004年東宝ミュージカル『エリザベート』皇太子ルドルフ役を皮切りに、2006年『グランドホテル』やTSミュージカル『ミス再婚』2005年ストレートプレイ『歩兵の本領』2007年ロック☆オペラ『TOMMY』など舞台を中心に活躍。2007年秋には韓国のミュージカル『タルゴナ』を原案として日本へ輸入した『ミュージカル・ラムネ』で日本で始めて主役をつとめ、故国・韓国でも4年ぶりに『初恋探し株式会社』で主演した。その後もミュージカル『ファントム』シャンドン伯爵、『夏の夜のロミオとジュリエット』ポセイドン役を演じたが、特に2008年に手塚治虫生誕80周年を記念したミュージカル『火の鳥』の我王役で演技力を発揮し、韓国の新聞でも取り上げられた。2009年以降は韓国での出演が続き、『初恋探し株式会社』(再演)、『ブロードウェイ42番街』(42nd Street)に出演し、2009年度第15回韓国ミュージカル大賞男優新人賞を35歳で受賞。また同作にて2010年第4回ザ・ミュージカル・アワード助演男優賞にもノミネートされるが逃す。
2003年から2008年の間、4年間NHKテレビ『アンニョンハシムニカ・ハングル講座』に進行役として出演していた。(2005年度のみ出演せず。)韓流ブームに乗った著作に『パク・トンハ写真集 GUMP&TSUBASA』(←自伝的エッセイを含む)『パク・トンハの韓国語ドリル』『パク・トンハの恋するハングル』。2010年に韓国へ帰国後、日本では活動していない。(2011年10月31日筆)

管理人視点のプロフィール

小学三年生のときに、韓国でミュージカル「サウンドオブミュージック」カート役にて子役デビュー。その後数々のテレビ・ミュージカル等に出演する子役だった。安養映画芸術高校演劇映画学科(芸能科のある高校・かなりの難関校、多くの芸能人を輩出していることで有名、日本で言うと宝塚北高のようなものか)へ進学したが、大学受験のために芸能活動を休止。この時期に日本文化に興味を持ち、第二外国語に日本語を選択、履修。また本格的にミュージカル俳優を志しバレエを習い始め、中央大学芸術大舞踊科へ進学する。(ただしダンスはそんなに上手ではない。)在学中に兵役も経験している。当時は制作への志向もあり、ミュージカルやオペラの制作・演出もこなしていた。小学3年生のときに始めたピアノが特技で、大学時代はピアノを弾くアルバイトをしたこともあるなど、ちょっと変わった経歴を持っている。
来日は韓流ブーム前。冬のソナタが流行した2004年よりも前、さらに日韓共催のワールドカップ2002年よりも前、2001年である。劇団四季にて3作の舞台を踏んだ後、東宝芸能へ移籍。2002年4月~2004年3月までNHKテレビ『アンニョンハシムニカ・ハングル講座』に出演。2004年出演したミュージカル『エリザベート』ルドルフ皇太子役で、実像に迫る大人のルドルフ像を築き、局地的にブレイク。この役を契機に、様々な舞台に出演が決定し、ミュージカルを中心に歌唱力を活かして出演。代表作は2008年・2010年のわらび座ミュージカル『火の鳥』我王役。
一方で、NHKテレビ『アンニョンハシムニカ・ハングル講座』4年間の出演を経て、「ハングル講座のお兄さん」として知名度は高く、2008年から2011年まで雑誌『韓国語ジャーナル』の付属CDのDJを務める。2008年までは日本在住で活動していたが韓国へ帰国し、2010年以降は日本では活動していない。